ここに公表する岡村天溪書の千字文は、中国北京美術館で個展を行った際に書き下ろした折本で、上中下三冊の楷書と、同じく三冊の隷書からなる二体千字文である。2行8字を(80%縮小)A4紙にプリントできるので、楷書手本とするのは便利であろう。また一字だけ抽出することも可能であるから、これをもとに印字して活用することも、パソコン上での加工も可能である。プリントするのは自由だが、帽子やTシャツなどに応用された場合は、写真を添付してメールしてほしい。面白い活用があるかもしれず、とりわけ書道や漢字文化のない国でどのような反応があるか、楽しみでもある。
千字文とは くわしく知りたいかたはこちら 『千字文解説』
日本では「せんじもん」と読みならわす。千字からなる詩文で、一句は4字2行、全125句で千字。すべて異なる漢字が使われて、しかも八字ごとに韻を踏む。 作者は秀才文官・姓は周、名が興嗣(こうし)、字は思纂(しさん)。5世紀後半から6世紀にかけての人である。(生年不明~521)
デキスギの話 千字文成立の背景
千字文の成立には「いわく因縁」がある。「いわく」とはこうである。書の大先駆者として2世紀ごろに鍾繇(しょうよう 151~230)という人が出た。楷書を確立した書道史上の巨星である。この人が千字文を作ったが、原本はとうの昔に散逸して伝わらない。かろうじて破損したものを東晋の王羲之(おうぎし307~363)が写したという。この写しもとうの昔に散逸して伝わらない。その幻の王羲之写本を梁の武帝が入手したが、またまた動乱の際に持ち出されて甚大なダメージをうけた。二重三重に茫洋とした話であって、武帝のものも贋作に相違ない。武帝は興嗣に復元を命じ、興嗣は一夜にしてこれにこたえたという。 書道史上の巨星を二人も担ぎ出すという潤色で、ヤリスギのきらいがあるが、話は面白いほうがよい、というのが中国流である。
下の画像をクリックすると、そのページに飛びます。 下段に【字形説明】があります。くわしくは『楷書字形の変遷』に。なおこれは執筆中ですので、最上段左が一番新しい入力です。終わるのに数年かかると思います。